ペテロの手紙Ⅱ3:9-10, マタイの福音書24:42-43, テサロニケ人への手紙Ⅰ5:2-3

旧約聖書では, 神はキリストが突然神殿に来ると言われました。(マラキ書3:1)

マラキ書3:1 視よ我わが使者を遣さん かれ我面の前に道を備へん また汝らが求むるところの主すなはち汝らの悦樂ぶ契約の使者忽然その殿に來らん 視よ彼來らんと萬軍のヱホバ云たまふ

私たちが知らないとき, キリストは泥棒として戻ります。したがって, 私たちは目を覚ましている必要があります。(ペテロの手紙Ⅱ3:9-10, マタイの福音書24:42-43, テサロニケ人への手紙Ⅰ5:2-3)

ペテロの手紙Ⅱ3:9 主その約束を果すに遲きは、或 人の遲しと思ふが如きにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望みて汝らを永く忍び給ふなり。
10 されど主の日は盜人のごとく來らん、その日には天とどろきて去り、もろもろの天體は燒け崩れ、地とその中にある工とは燒け盡きん。

マタイの福音書24:42 されば目を覺しをれ、汝らの主のきたるは、何れの日なるかを知らざればなり。
43 汝 等これを知れ、家主もし盜人いづれの時きたるかを知らば、目をさまし居て、その家を穿たすまじ。

テサロニケ人への手紙Ⅰ5:2 汝らは主の日の盜人の夜きたるが如くに來ることを、自ら詳細に知ればなり。
3 人々の平和 無事なりと言ふほどに、滅亡にはかに彼らの上に來らん、妊める婦に産の苦痛の臨むがごとし、必ず遁るることを得じ。