詩篇2:7-8, マタイの福音書3:16-17, マタイの福音書14:33, マタイの福音書16:16, マタイの福音書17:5, ヨハネの福音書1:34, ヨハネの福音書20:31, へブル人への手紙ズ1:2,8
旧約聖書では, 神がキリストの働きを神の子に委ねることが予告されていました。(詩篇2:7-8, へブル人への手紙1:8-9)
詩篇2:7 われ詔命をのべんヱホバわれに宣まへり なんぢはわが子なり今日われなんぢを生り
8 われに求めよ さらば汝にもろもろの國を嗣業としてあたへ地の極をなんぢの有としてあたへん
へブル人への手紙1:8 されど御子に就きては『神よ、なんじの御座は世々 限りなく、汝の國の杖は正しき杖なり。
9 なんぢは義を愛し、不法をにくむ。この故に神なんぢの神は歡喜の油を、汝の友に勝りて汝にそそぎ給へり』と。
誕生から, イエスは神の子と呼ばれていました。(ルカの福音書1:35)
ルカの福音書1:35 御使こたへて言ふ『聖 靈なんぢに臨み、至高者の能力なんぢを被はん。此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。
イエスがキリストの働きを始めたとき, 彼は神から神の子であると召されました。(マタイの福音書3:16-17)
マタイの福音書3:16 イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上り給ひしとき、視よ、天ひらけ、神の御靈の、鴿のごとく降りて己が上にきたるを見 給ふ。
17 また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』
バプテスマのヨハネの福音書は, イエスが神の子であると証言しました。(ヨハネの福音書1:34)
ヨハネの福音書1:34 われ之を見て、その神の子たるを證せしなり』
そして, イエスは, 神だけができる奇跡を起こしたので, 人々によって神の子と呼ばれました。(マタイの福音書14:33)
マタイの福音書14:33 舟に居る者どもイエスを拜して言ふ『まことに汝は神の子なり』
イエスは神の子と呼ばれ続けました。(マタイの福音書17:5)
マタイの福音書17:5 彼なほ語りをるとき、視よ、光れる雲かれらを覆ふ。また雲より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり、汝ら之に聽け』
神の子だけがキリストの働きを達成することができます。(マタイの福音書16:16)
マタイの福音書16:16 シモン・ペテロ答へて言ふ『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』
神の子だけがキリストの働き, すなわち真の王, 真の司祭, そして真の預言者をすることができます。
神の子だけがサタンの頭を壊すことができます。(ヨハネの福音書3:8)
ヨハネの福音書3:8 風は己が好むところに吹く、汝その聲を聞けども、何處より來り何處へ往くを知らず。すべて靈によりて生るる者も斯くのごとし』
私たちの罪の赦しに対する唯一の罪のない犠牲は, 神の子です。(へブル人への手紙9:14)
へブル人への手紙9:14 まして永遠の御靈により瑕なくして己を神に献げ給ひしキリストの血は、我らの良心を死にたる行爲より潔めて活ける神に事へしめざらんや。
神と一緒にいる神の子だけが真の預言者の働きをすることができます。(ヨハネの福音書1:1-2)
ヨハネの福音書1:1 太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。
2 この言は太初に神とともに在り、
言い換えれば, イエスは神の子としてのキリストの働きを達成しました。(ヨハネの福音書19:30, ヨハネの福音書20:31)
ヨハネの福音書19:30 イエスその葡萄酒をうけて後いひ給ふ『事 畢りぬ』遂に首をたれて靈をわたし給ふ。
ヨハネの福音書20:31 されど此 等の事を録ししは、汝 等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめ、信じて御名により生命を得しめんが爲なり。