マタイの福音書24:14, マタイの福音書24:36, 使徒の働き1:6-7, ペテロの手紙Ⅱ3:10, マタイの福音書24:43, ルカの福音書12:40, ヨハネの黙示録3:3, ヨハネの黙示録16:15, マタイの福音書25:13

終わりは, 福音が世界中で説教された後に来ます。(マタイの福音書24:14)

マタイの福音書24:14 御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんため全世界に宣傅へられん、而してのち終は至るべし。

主がいつ来るのかわかりません。(マタイの福音書24:36, マタイの福音書25:13, 使徒の働き1:6-7)

マタイの福音書24:36 その日その時を知る者なし、天の使たちも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給ふ。

マタイの福音書25:13 されば目を覺しをれ、汝らは其の日その時を知らざるなり。

使徒の働き1:6 弟子たち集れるとき問ひて言ふ『主よ、イスラエルの國を囘復し給ふは此の時なるか』
7 イエス言ひたまふ『時また期は父おのれの權威のうちに置き給へば、汝らの知るべきにあらず。

主の日は泥棒のようになります。私たちは冷静で注意深いはずです。言い換えれば, 福音は世界中に急速に広がります。そして, 福音がいつ世界中で説教されたかは決してわかりません。したがって, あなたは目を覚ましている必要があります。(マタイの福音書24:41-44, ルカの福音書12:40, テサロニケ人への手紙Ⅰ5:2-9, ペテロの手紙Ⅰ 3:10, ヨハネの黙示録3:3, ヨハネの黙示録16:15)

マタイの福音書24:41 二人の女 磨ひき居らんに、一人は取られ一人は遺されん。
42 されば目を覺しをれ、汝らの主のきたるは、何れの日なるかを知らざればなり。
43 汝 等これを知れ、家主もし盜人いづれの時きたるかを知らば、目をさまし居て、その家を穿たすまじ。
44 この故に汝らも備へをれ、人の子は思はぬ時に來ればなり。

ルカの福音書12:40 汝らも備へをれ。人の子は思はぬ時に來ればなり』

テサロニケ人への手紙Ⅰ5:2 汝らは主の日の盜人の夜きたるが如くに來ることを、自ら詳細に知ればなり。
3 人々の平和 無事なりと言ふほどに、滅亡にはかに彼らの上に來らん、妊める婦に産の苦痛の臨むがごとし、必ず遁るることを得じ。
4 されど兄弟よ、汝らは暗に居らざれば、盜人の來るごとく其の日なんぢらに追及くことなし。
5 それ汝 等はみな光の子ども晝の子供なり。我らは夜に屬く者にあらず、暗に屬く者にあらず。
6 されば他の人のごとく眠るべからず、目を覺して愼むべし。
7 眠る者は夜 眠り、酒に醉ふ者は夜 醉ふなり。
8 されど我らは晝に屬く者なれば、信仰と愛との胸當を著け、救の望の兜をかむりて愼むべし。
9 それ神は我らを怒に遭はせんとにあらず、主イエス・キリストに頼りて救を得させんと定め給へるなり。

ペテロの手紙Ⅰ 3:10 『生命を愛し、善き日を送らんとする者は、舌を抑へて惡を避け、口唇を抑へて虚僞を語らず、

ヨハネの黙示録3:3 されば汝の如何に受けしか、如何に聽きしかを思ひいで、之を守りて悔改めよ。もし目を覺さずば、盜人のごとく我きたらん、汝わが何れの時きたるかを知らざるべし。

ヨハネの黙示録16:15 (視よ、われ盜人のごとく來らん、裸にて歩み羞所を見らるることなからん爲に、目を覺してその衣を守る者は幸福なり)