レビ記19:34, イザヤ書49:6, ルカの福音書23:34, マタイの福音書22:10, 使徒の働き7:59-60, 1ピーター3:9-15

イエスは私たちに敵を愛し, 彼らのために祈るように私たちに告げられました。(マタイの福音書5:44)

マタイの福音書5:44 されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。

旧約聖書は, 異邦人を憎まないように言っています。その理由は, 神がそれらの異邦人を救う計画を持っているからです。(レビ記19:34, イザヤ書49:6)

レビ記19:34 汝等とともに居る他國の人をば汝らの中間に生れたる者のごとくし己のごとくに之を愛すべし汝等もエジブトの國に客たりし事あり我は汝らの神ヱホバなり

イザヤ書49:6 その聖言にいはく なんぢわが僕となりてヤコブのもろもろの支派をおこし イスラエルのうちののこりて全うせしものを歸らしむることはいと輕し 我また汝をたてて異邦人の光となし 我がすくひを地のはてにまで到らしむ

イエスが十字架につけられたとき, 彼は彼を殺した人々を許すように神に祈りました。(ルカの福音書23:34)

ルカの福音書23:34 かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』彼らイエスの衣を分ちて鬮取にせり、

イエスは, たとえで天国での救いの宴会を説明し, 彼らに宴会に善と悪い者の両方を招待するように言われました。(マタイの福音書22:10)

マタイの福音書22:10 僕ども途に出でて、善きも惡しきも遇ふほどの者をみな集めたれば、婚禮の席は客にて滿てり。

福音を説教している間に殺されたスティーブンでさえ, 彼を殺した人々が救われることを祈りました。(使徒の働き7:59-60)

使徒の働き7:59 かくて彼 等がステパノを石にて撃てるとき、ステパノ呼びて言ふ『主イエスよ、我が靈を受けたまへ』
60 また跪づきて大聲に『主よ、この罪を彼らの負はせ給ふな』と呼はる。斯く言ひて眠に就けり。

ピーターは, 悪のために悪を返済するのではなく, 彼らが救われるかもしれないことを祈るように言った。結局のところ, 私たちが敵を愛さなければならない理由は, 彼らが救われるようにするためです。(ペテロの手紙Ⅰ 3:9-15)

ペテロの手紙Ⅰ 3:9 惡をもて惡に、謗をもて謗に報ゆることなく、反つて之を祝福せよ。汝らの召されたるは祝福を嗣がん爲なればなり。
10 『生命を愛し、善き日を送らんとする者は、舌を抑へて惡を避け、口唇を抑へて虚僞を語らず、
11 惡より遠ざかりて善をおこなひ、平和を求めて之を追ふべし。
12 それ主の目は義人の上にとどまり、その耳は彼らの祈にかたむく。されど主の御顏は惡をおこなふ者に向ふ』
13 汝 等もし善に熱心ならば、誰か汝らを害はん。
14 たとひ義のために苦しめらるる事ありとも、汝ら幸福なり『彼 等の威嚇を懼るな、また心を騷がすな』
15 心の中にキリストを主と崇めよ、また汝らの衷にある望の理由を問ふ人には、柔和と畏懼とをもて常に辯明すべき準備をなし、