コリント人への手紙Ⅱ (ja-2cor)

110 of 17 items

375.キリストの残りの苦しみ:伝道者の書の働き(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5-10)

by christorg

コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10-11, ピリピ人への手紙への手紙3:10, コロサイ人への手紙1:24, ペテロの手紙Ⅰ 4:13, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9, 11-13 パウロは福音を説教している間, 多くの困難に苦しんだ。彼は死ぬほど苦しんでいた。しかし, これらの苦しみはすべて, キリストの残りの苦しみでした。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5-10, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10-11, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:11-13) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5 そはキリストの苦難われらに溢るる如く、我らの慰安も亦キリストによりて溢るればなり。 6 我ら或は患難を受くるも汝らの慰安と救とのため、或は慰安を受くるも汝らの慰安の爲にして、その慰安は汝らの中に働きて、我らが受くる如き苦難を忍ぶことを得しむるなり。 7 かくて汝らが苦難に與るごとく、また慰安にも與ることを知れば、汝らに對する我らの望は堅し。 8 兄弟よ、我らがアジヤにて遭ひし患難を汝らの知らざるを好まず、すなはち壓せらるること甚だしく、力 耐へがたくして、生くる望を失ひ、 9 心のうちに死を期するに至れり。これ己を頼まずして、死人を甦へらせ給ふ神を頼まん爲なり。 10 神は斯かる死より我らを救ひ給へり、また救ひ給はん。我らは後もなほ救ひ給はんことを望みて神を頼み、 コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10 常にイエスの死を我らの身に負ふ。これイエスの生命の我らの身にあらはれん爲なり。 11 それ我ら生ける者の常にイエスのため死に付さるるは、イエスの生命の我らの死ぬべき肉體にあらはれん爲なり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9 我おもふ、神は使徒たる我らを死に定められし者のごとく、後の者として見せ給へり。實に我らは宇宙のもの、即ち御使にも、衆人にも、觀物にせられたるなり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:11 今の時にいたるまで我らは飢ゑ、渇き、また裸となり、また打たれ、定れる住家なく、 12 手づから働きて勞し、罵らるるときは祝し、責めらるるときは忍び、 13 譏らるるときは勸をなせり。我らは今に至るまで世の塵芥のごとく、萬の物の垢のごとくせられたり。 パウロは, 福音を説きながら苦しんでいた苦しみを喜び, それに参加したいと思った。(ピリピ人への手紙への手紙3:10, コロサイ人への手紙1:24) ピリピ人への手紙への手紙3:10 キリストとその復活の力とを知り、又その死に效ひて彼の苦難にあづかり、 コロサイ人への手紙1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。 あなたがキリストの苦しみに参加する程度に喜んでください。(ペテロの手紙Ⅰ 4:13) ペテロの手紙Ⅰ 4:13 反つてキリストの苦難に與れば、與るほど喜べ、なんぢら彼の榮光の顯れん時にも喜び樂しまん爲なり。

376.私たちは, イエスをキリストとして本当に信じるあなたを誇っています。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:14)

by christorg

(ピリピ人への手紙への手紙2:16, テサロニケ人への手紙Ⅰ2:19) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:14 而して我は汝 等のうち或 者の既に知れる如く、我らの主イエスの日に我らが汝らの誇、なんぢらが我らの誇たるを終まで知らんことを望む。 ピリピ人への手紙への手紙2:16 かくて我が走りしところ勞せしところ空しからず、キリストの日にわれ誇ることを得ん。 テサロニケ人への手紙Ⅰ2:19 我らの主イエスの來り給ふとき、御前における我らの希望、また喜悦、また誇の冠冕は誰ぞ、汝らならずや。 私たちが伝道者の書した人たちは, 主イエスの日に私たちの誇りになります

377.神の約束はキリストにおいて満たされています。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:19-20)

by christorg

ローマ人への手紙1:2, ガラテヤ人への手紙3:16, ローマ人への手紙10:4, ローマ人への手紙15:8-12 神は旧約聖書の預言者を通して彼の息子について約束をしました。(ローマ人への手紙1:2) ローマ人への手紙1:2 この福音は神その預言者たちにより、聖書の中に預じめ御子に就きて約し給ひしものなり。 神がアブラハムと彼の子孫に約束されたのはキリストです。(ガラテヤ人への手紙3:16) ガラテヤ人への手紙3:16 かの約束はアブラハムと其の裔とに與へ給ひし者なり。多くの者を指すごとく『裔々に』とは云はず、一人を指すごとく『なんぢの裔に』と云へり、これ即ちキリストなり。 神によって与えられた律法もキリストで満たされました。(ローマ人への手紙10:4) ローマ人への手紙10:4 キリストは凡て信ずる者の義とせられん爲に律法の終となり給へり。 神がイスラエル人と異邦人の両方を呼んだのはキリストでした。(ローマ人への手紙15:8-12) ローマ人への手紙15:8 われ言ふ、キリストは神の眞理のために割禮の役者となり給へり。これ先祖たちの蒙りし約束を堅うし給はん爲、 9 また異邦人も憐憫によりて神を崇めんためなり。録して『この故に、われ異邦人の中にて汝を讃めたたへ、又なんぢの名を謳はん』とあるが如し。 10 また曰く『異邦人よ、主の民と共に喜べ』 11 又いはく『もろもろの國人よ、主を讃め奉れ、もろもろの民よ、主を稱へ奉れ』 12 又イザヤ言ふ『エツサイの萠薛 生じ、異邦人を治むるもの興らん。異邦人は彼に望をおかん』 神の約束はすべて, キリストで満たされています。だから私たちはキリストを通して神を称賛します。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:19-20) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:19 我ら即ちパウロ、シルワノ、テモテが汝らの中に傳へたる神の子キリスト・イエスは、然りまた否と言ふが如き者にあらず、然りと言ふことは彼によりて成りたるなり。 20 神の約束は多くありとも、然りと言ふことは彼によりて成りたれば、彼によりてアァメンあり、我ら神に榮光を歸するに至る。

379.この日まで, モーゼスのベールは旧約聖書の朗読で解放されたままです(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ3:12-18)

by christorg

イザヤ書6:10, イザヤ書29:10, ローマ人への手紙11:7-8, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱへの手紙4:4, ローマ人への手紙10:4, ガラテヤ人への手紙3:23-25, ルカの福音書24:25-27, 44-45 旧約聖書は, イスラエルの人々が彼らの心に鈍くなり, 神の言葉を理解しないだろうと予言した。(イザヤ書6:10, イザヤ書29:10) イザヤ書6:10 なんぢこの民のこころを鈍くしその耳をものうくし その眼をおほへ 恐らくは彼らその眼にて見その耳にてきき その心にてさとり翻へりて醫さるることあらん イザヤ書29:10 そはヱホバ酣睡の靈をなんぢらの上にそそぎ 而してなんぢらの目をとぢ なんぢらの面をおほひたまへり その目は預言者そのかほは先知者なり モーセはキリストを表すためにペンタテックを書いた。しかし, ユダヤ人は旧約聖書を読んでいるときにまだモーセを探しています。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ3:12-18, ローマ人への手紙11:7-8) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ3:12 我らは斯くのごとき希望を有つゆゑに、更に臆せずして言ひ、 13 又モーセの如くせざるなり。彼は消ゆべき者の消えゆくをイスラエルの子らに見せぬために、面帕を顏におほひたり。 14 然れど彼らの心 鈍くなれり。キリストによりて面帕の廢るべきを悟らねば、今日に至るまで舊約を讀む時その面帕なほ存れり。 15 今日に至るまでモーセの書を讀むとき、面帕は彼らの心のうへに置かれたり。 16 然れど主に歸する時、その面帕は取り除かるべし。 17 主は即ち御靈なり、主の御靈のある所には自由あり。 18 我等はみな面帕なくして、鏡に映るごとく主の榮光を見、榮光より榮光にすすみ、主たる御靈によりて主と同じ像に化するなり。 ローマ人への手紙11:7 さらば如何に、イスラエルはその求むる所を得ず、選ばれたる者は之を得たり、その他の者は鈍くせられたり。 8 『神は今日に至るまで、彼らに眠れる心、見えぬ目、聞えぬ耳を與へ給へり』と録されたるが如し。 モーセによって書かれた律法は, 私たちをキリストに導きます。(ガラテヤ人への手紙3:23-25) ガラテヤ人への手紙3:23 信仰の出で來らぬ前は、われら律法の下に守られて、後に顯れんとする信仰の時まで閉ぢ籠められたり。 24 かく信仰によりて我らの義とせられん爲に、律法は我らをキリストに導く守役となれり。 25 されど信仰の出で來りし後は、我等もはや守役の下に居らず。 旧約聖書全体はキリストについて説明しており, キリストはイエスであることを説明しています。(ルカの福音書24:25-27, ルカの福音書24:44-45) […]

380.神のイメージであるキリスト(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:4)

by christorg

(ピリピ人への手紙への手紙2:6, コロサイ人への手紙1:15, へブル人への手紙1:3) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:4 この世の神は此 等の不 信者の心を暗まして、神の像なるキリストの榮光の福音の光を照さざらしめたり。 ピリピ人への手紙への手紙2:6 即ち彼は神の貌にて居給ひしが、神と等しくある事を固く保たんとは思はず、 コロサイ人への手紙1:15 彼は見 得べからざる神の像にして、萬の造られし物の先に生れ給へる者なり。 へブル人への手紙1:3 御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言をもて萬の物を保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり。 キリストは神のイメージです。言い換えれば, キリストは神のようなものです。つまり, キリストは神の唯一の生まれた息子です。

381.イエス・キリストに直面した神の栄光の知識の光の光を与えるために私たちの心の中で輝いている神(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:6)

by christorg

創世記1:3, ヨハネの福音書1:4,9, ルカの福音書1:78-79 神は天と地の創造に光を与えました。(創世記1:3) 創世記1:3 神光あれと言たまひければ光ありき 神は私たちに真の光であるキリストを与えてくれたので, 私たちは神を知ることができます。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:6, ヨハネの福音書1:4, ヨハネの福音書1:9) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:6 光、暗より照り出でよと宣ひし神は、イエス・キリストの顏にある神の榮光を知る知識を輝かしめんために、我らの心を照し給へるなり。 ヨハネの福音書1:4 之に生命あり、この生命は人の光なりき。 ヨハネの福音書1:9 もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり。 キリストの光は, 暗闇と死の影の中で私たちを照らしてきました。(ルカの福音書1:78-79) ルカの福音書1:78 これ我らの神の深き憐憫によるなり。この憐憫によりて朝のひかり、上より臨み、 79 暗黒と死の蔭とに坐する者をてらし、我らの足を平和の路にみちびかん』

382.私たちの宝物であるキリスト(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:7)

by christorg

ペテロの手紙Ⅰ 2:6, マタイの福音書13:44-46 私たちには宝物があります, キリスト。神のすべての偉大な力はキリストにあります。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:7, ペテロの手紙Ⅰ 2:6) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:7 我等この寶を土の器に有てり、これ優れて大なる能力の我等より出でずして、神より出づることの顯れんためなり。 ペテロの手紙Ⅰ 2:6 聖書に『視よ、選ばれたる貴き隅の首石を我シオンに置く。之に依頼む者は辱しめられじ』とあるなり。 キリストは, 私たちが持っているすべてを売ることによって買われるべき宝物です。(マタイの福音書13:44-46) マタイの福音書13:44 天國は畑に隱れたる寶のごとし。人 見出さば、之を隱しおきて、喜びゆき、有てる物をことごとく賣りて其の畑を買ふなり。 45 また天國は良き眞珠を求むる商人のごとし。 46 價たかき眞珠 一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく賣りて、之を買ふなり。

383.私たちの致命的な肉体にイエスの命を表すために(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:8-11)

by christorg

コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:8-9, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ7:5, ピリピ人への手紙への手紙3:10-11, ローマ人への手紙8:17-18, 35-36, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:16-18 パウロは福音を説教している間, 死ぬほど苦しみました。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:8-9, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ7:5) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:8 兄弟よ、我らがアジヤにて遭ひし患難を汝らの知らざるを好まず、すなはち壓せらるること甚だしく、力 耐へがたくして、生くる望を失ひ、 9 心のうちに死を期するに至れり。これ己を頼まずして、死人を甦へらせ給ふ神を頼まん爲なり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ7:5 マケドニヤに到りしとき、我らの身はなほ聊かも平安を得ずして、樣々の患難に遭ひ、外には分爭、内には恐懼ありき。 しかし, パウロはキリストの苦しみを分かち合うことを喜んだ。(ピリピ人への手紙への手紙3:10-11) ピリピ人への手紙への手紙3:10 キリストとその復活の力とを知り、又その死に效ひて彼の苦難にあづかり、 11 如何にもして死人の中より甦へることを得んが爲なり。 福音のために死んだとしても, 私たちはキリストのように復活します。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:8-11) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:8 われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、 9 責めらるれども棄てられず、倒さるれども亡びず、 10 常にイエスの死を我らの身に負ふ。これイエスの生命の我らの身にあらはれん爲なり。 11 それ我ら生ける者の常にイエスのため死に付さるるは、イエスの生命の我らの死ぬべき肉體にあらはれん爲なり。 私たちをキリストの愛から引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8:35-36) ローマ人への手紙8:35 我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難か、苦難か、迫害か、飢か、裸か、危險か、劍か。 36 録して『汝のために我らは、終日ころされて屠らるべき羊の如きものとせられたり』とあるが如し。 福音のために現在の苦しみは, 私たちが将来受け取る栄光と比較することはできません。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:16-18, ローマ人への手紙8:17-18) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。 17 それ我らが受くる暫くの輕き患難は、極めて大なる永遠の重き光榮を得しむるなり。 18 我らの顧みる所は見ゆるものにあらで見えぬものなればなり。見ゆるものは暫時にして、見えぬものは永遠に至るなり。 ローマ人への手紙8:17 もし子たらば世嗣たらん、神の嗣子にしてキリストと共に世嗣たるなり。これはキリストとともに榮光を受けん爲に、その苦難をも共に受くるに因る。 18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

386.私たちを神と和解させたキリスト(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:18-19)

by christorg

ローマ人への手紙5:10, エペソ人への手紙2:14-18, コロサイ人への手紙1:19-20, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ1:17 キリストの死によって, 神との敵であった私たちは, 神と和解しました。(ローマ人への手紙5:10, エペソ人への手紙2:14-18, コロサイ人への手紙1:19-20) ローマ人への手紙5:10 我等もし敵たりしとき御子の死に頼りて神と和ぐことを得たらんには、まして和ぎて後その生命によりて救はれざらんや。 エペソ人への手紙2:14 彼は我らの平和にして、己が肉により、樣々の誡命の規より成る律法を廢して、二つのものを一つとなし、怨なる隔の中籬を毀ち給へり。これは二つのものを己に於て一つの新しき人に造りて平和をなし、 エペソ人への手紙2:15+_ 16 十字架によりて怨を滅し、また之によりて二つのものを一つの體となして神と和がしめん爲なり。 17 かつ來りて、遠かりし汝 等にも平和を宣べ、近きものにも平和を宣べ給へり。 18 そはキリストによりて我ら二つのもの一つ御靈にありて父に近づくことを得たればなり。 コロサイ人への手紙1:19 神は凡ての滿ち足れる徳を彼に宿して、 20 その十字架の血によりて平和をなし、或は地にあるもの、或は天にあるもの、萬の物をして己と和がしむるを善しとし給ひたればなり。 また, 神は私たちに和解の職を与えられ, 和解の言葉を私たちに任せてくれました。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:18-19) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:18 これらの事はみな神より出づ、神はキリストによりて我らを己と和がしめ、かつ和がしむる職を我らに授け給へり。 19 即ち神はキリストに在りて世を己と和がしめ、その罪を之に負はせず、かつ和がしむる言を我らに委ね給へり。

388.私たちを救うためにキリストを罪にした神(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:21)

by christorg

イザヤ書53:5-6, 10-12, マタイの福音書27:46, ガラテヤ人への手紙3:13 旧約聖書は, 神が私たちを救うために私たちの罪をキリストに耐えることを預言しました。(イザヤ書53:5-6, イザヤ書53:10-12) イザヤ書53:5 彼はわれらの愆のために傷けられ われらの不義のために碎かれ みづから懲罰をうけてわれらに平安をあたふ そのうたれし痍によりてわれらは癒されたり 6 われらはみな羊のごとく迷ひておのおの己が道にむかひゆけり 然るにヱホバはわれら凡てのものの不義をかれのうへに置たまへり イザヤ書53:10 されどヱホバはかれを碎くことをよろこびて之をなやましたまへり 斯てかれの靈魂とがの献物をなすにいたらば彼その末をみるを得その日は永からん かつヱホバの悦び給ふことは彼の手によりて榮ゆべし 11 かれは己がたましひの煩勞をみて心たらはん わが義しき僕はその知識によりておほくの人を義とし又かれらの不義をおはん 12 このゆゑに我かれをして大なるものとともに物をわかち取しめん かれは強きものとともに掠物をわかちとるべし 彼はおのが靈魂をかたぶけて死にいたらしめ愆あるものとともに數へられたればなり 彼はおほくの人の罪をおひ愆あるものの爲にとりなしをなせり 旧約聖書でキリストについて預言されたように, イエスは私たちの罪を自分自身に奪い, 神によって拒否され, 死にました。(マタイの福音書27:46, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:21, ガラテヤ人への手紙3:13) マタイの福音書27:46 三時ごろイエス大聲に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見 棄て給ひしとの意なり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ5:21 神は罪を知り給はざりし者を我らの代に罪となし給へり、これ我らが彼に在りて神の義となるを得んためなり。 ガラテヤ人への手紙3:13 キリストは我等のために詛はるる者となりて、律法の詛より我らを贖ひ出し給へり。録して『木に懸けらるる者は凡て詛はるべし』と云へばなり。