375.キリストの残りの苦しみ:伝道者の書の働き(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5-10)
コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10-11, ピリピ人への手紙への手紙3:10, コロサイ人への手紙1:24, ペテロの手紙Ⅰ 4:13, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9, 11-13 パウロは福音を説教している間, 多くの困難に苦しんだ。彼は死ぬほど苦しんでいた。しかし, これらの苦しみはすべて, キリストの残りの苦しみでした。(コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5-10, コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10-11, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9, コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:11-13) コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ1:5 そはキリストの苦難われらに溢るる如く、我らの慰安も亦キリストによりて溢るればなり。 6 我ら或は患難を受くるも汝らの慰安と救とのため、或は慰安を受くるも汝らの慰安の爲にして、その慰安は汝らの中に働きて、我らが受くる如き苦難を忍ぶことを得しむるなり。 7 かくて汝らが苦難に與るごとく、また慰安にも與ることを知れば、汝らに對する我らの望は堅し。 8 兄弟よ、我らがアジヤにて遭ひし患難を汝らの知らざるを好まず、すなはち壓せらるること甚だしく、力 耐へがたくして、生くる望を失ひ、 9 心のうちに死を期するに至れり。これ己を頼まずして、死人を甦へらせ給ふ神を頼まん爲なり。 10 神は斯かる死より我らを救ひ給へり、また救ひ給はん。我らは後もなほ救ひ給はんことを望みて神を頼み、 コロサイ人への手紙への手紙Ⅱ4:10 常にイエスの死を我らの身に負ふ。これイエスの生命の我らの身にあらはれん爲なり。 11 それ我ら生ける者の常にイエスのため死に付さるるは、イエスの生命の我らの死ぬべき肉體にあらはれん爲なり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:9 我おもふ、神は使徒たる我らを死に定められし者のごとく、後の者として見せ給へり。實に我らは宇宙のもの、即ち御使にも、衆人にも、觀物にせられたるなり。 コロサイ人への手紙への手紙Ⅰ4:11 今の時にいたるまで我らは飢ゑ、渇き、また裸となり、また打たれ、定れる住家なく、 12 手づから働きて勞し、罵らるるときは祝し、責めらるるときは忍び、 13 譏らるるときは勸をなせり。我らは今に至るまで世の塵芥のごとく、萬の物の垢のごとくせられたり。 パウロは, 福音を説きながら苦しんでいた苦しみを喜び, それに参加したいと思った。(ピリピ人への手紙への手紙3:10, コロサイ人への手紙1:24) ピリピ人への手紙への手紙3:10 キリストとその復活の力とを知り、又その死に效ひて彼の苦難にあづかり、 コロサイ人への手紙1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。 あなたがキリストの苦しみに参加する程度に喜んでください。(ペテロの手紙Ⅰ 4:13) ペテロの手紙Ⅰ 4:13 反つてキリストの苦難に與れば、與るほど喜べ、なんぢら彼の榮光の顯れん時にも喜び樂しまん爲なり。