ルカの福音書 (ja-lk)

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146.安息日の主であるキリスト(ルカの福音書6:5)

by christorg

創世記2:1-3, 出エジプト記20:10, 出エジプト記31:13, へブル人への手紙4:1-11, マタイの福音書11:28 イエスは安息日の領主です。安息日は, キリストであるイエスを通して真の休息を受ける日です。安息日の法律は, キリストに休息につながるためのガイドです。(ルカの福音書6:5) ルカの福音書6:5 また言ひたまふ『人の子は安息 日の主たるなり』 旧約聖書では, 神が創造の後に休んだことが記録されています。(創世記2:1-3) 創世記2:1 斯天地および其衆群悉く成ぬ 2 第七日に神其造りたる工を竣たまへり即ち其造りたる工を竣て七日に安息たまへり 3 神七日を祝して之を神聖めたまへり其は神其創造爲たまへる工を盡く竣て是日に安息みたまひたればなり また, この安息日を維持するために, 旧約聖書は安息日に取り組んでいる禁止を禁じています。(出エジプト記20:10, 出エジプト記31:13) 出エジプト記20:10 七日は汝の神ヱホバの安息なれば何の業務をも爲べからず汝も汝の息子息女も汝の僕婢も汝の家畜も汝の門の中にをる他國の人も然り 出エジプト記31:13 汝イスラエルの子孫に告て言べし汝等かならず吾安息日を守るべし是は我と汝等の間の代々の徴にして汝等に我の汝等を聖からしむるヱホバなるを知しむる爲の者なればなり しかし, この休息はキリストの影, 永遠の休息です。キリストには永遠の休息があります。(へブル人への手紙4:1-11, マタイの福音書11:28) へブル人への手紙4:1 然れば我ら懼るべし、その安息に入るべき約束はなほ遺れども、恐らくは汝らの中これに達せざる者あらん。 2 それは彼らのごとく我らも善き音信を傳へられたり、然れど彼らには聞きし所の言 益なかりき。聞くもの之に信仰をまじへざりしに因る。 3 われら信じたる者は、かの休に入ることを得るなり。『われ怒をもて「彼らは、わが休に入るべからず」と誓へり』と云ひ給ひしが如し。されど世の創より御業は既に成れるなり。 4 或 篇に七日めに就きて斯く云へり『七日めに神その凡ての業を休みたまへり』と。 5 また茲に『かれらは、我が休に入るべからず』と云へり。 6 然れば之に入るべき者なほ在り、曩に善き音信を傳へられし者らは、不 從順によりて入ることを得ざりしなれば、 7 久しきを經てのち復、日を定めダビデによりて『今日』と言ひ給ふ。曩に記したるが如し。曰く『今日なんじら神の聲を聞かば、こころを頑固にするなかれ』 8 若しヨシュア既に休を彼らに得しめしならば、神はその後、ほかの日につきて語り給はざりしならん。 9 然れば神の民の爲になほ安息は遺れり。 10 既に神の休に入りたる者は、神のその業を休み給ひしごとく、己が業を休めり。 11 […]

147.死者をspareしたキリスト(ルカの福音書7:11-16)

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列王記Ⅰ17:22-24, 列王記Ⅱ4:32-37, ルカの福音書8:54-55, ヨハネの福音書11:43-44, 旧約聖書では, 預言者は人々を救う奇跡を起こしました。もちろん, これらの奇跡を通して, 彼らは彼らが神の真の預言者であることを示しました。(列王記Ⅰ17:22-24, 列王記Ⅱ4:32-37) 列王記Ⅰ17:22 ヱホバ、エリヤの聲を聽いれたまひしかば其子の魂中にかへりて生たり 23 エリヤ乃ち其子を取て之を桜より家に携くだり其母に與していひけるは視よ爾の子は生くと 24 婦エリヤにいひけるは此に縁て我は爾が神の人にして爾の口にあるヱホバの言は眞實なるを知ると 列王記Ⅱ4:32 エリシヤここにおいて家に入て視に子は死ておのれの臥床の上に臥てあれば 33 すなはち入り戸をとぢて二人内におりてヱホバに祈り 34 而してエリシヤ上りて子の上に伏し己が口をその口におのが目をその目に己が手をその手の上にあて身をもてその子を掩しに子の身體やうやく温まり來る 35 かくしてエリシヤかへり來て家の内に其處此處とあゆみをり又のぼりて身をもて子をおほひしに子七度嚏して目をひらきしかば 36 ゲハジを呼てかのシユナミ人をよべと言ければすなはちこれを呼り 37 彼入來りしかばエリシヤなんぢの子を取ゆけと言りかれすなはち入りてエリシヤの足下に伏し地に身をかがめて其子を取あげて出づ イエスはまた, 死者を育てるという奇跡を実行しました。これは, イエスが神の真の預言者であることを示しています。(ルカの福音書7:11-16, ルカの福音書8:54-55, ヨハネの福音書11:43-44) ルカの福音書7:11 その後イエス、ナインといふ町にゆき給ひしに、弟子たち及び大なる群衆も共に往く。 12 町の門に近づき給ふとき、視よ、舁き出さるる死人あり。これは獨 息子にて母は寡婦なり、町の多くの人々これに伴ふ。 13 主、寡婦を見て憫み『泣くな』と言ひて、 14 近より、柩に手をつけ給へば、舁くもの立ち止る。イエス言ひたまふ『若者よ、我なんぢに言ふ、起きよ』 15 死人、起きかへりて物 言ひ始む。イエス之を母に付したまふ。 16 人々みな懼をいだき、神を崇めて言ふ『大なる預言者われらの中に興れり』また言ふ『神その民を顧み給へり』 ルカの福音書8:54 然るにイエス子の手をとり、呼びて『子よ、起きよ』と言ひ給へば、 55 その靈かへりて立刻に起く。イエス食物を之に與ふることを命じ給ふ。 ヨハネの福音書11:43 斯く言ひてのち、聲 高く『ラザロよ、出で來れ』と呼はり給へば、 44 死にしもの布にて足と手とを卷かれたるまま出で來る、顏も手拭にて包まれたり。イエス『これを解きて往かしめよ』と言ひ給ふ。

149.イエスをキリストとして信じる人々の人生の目標, 福音を広めます(ルカの福音書9:57-62)

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ルカの福音書9:57 途を往くとき、或 人イエスに言ふ『何處に往き給ふとも我は從はん』 58 イエス言ひたまふ『狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし』 59 また或 人に言ひたまふ『我に從へ』かれ言ふ『まづ往きて我が父を葬ることを許し給へ』 60 イエス言ひたまふ『死にたる者に、その死にたる者を葬らせ、汝は往きて神の國を言ひ弘めよ』 61 また或 人いふ『主よ、我なんぢに從はん、されど先づ家の者に別を告ぐることを許し給へ』 62 イエス言ひたまふ『手を鋤につけてのち後を顧みる者は、神の國に適ふ者にあらず』

150.聖書の伝道者の書:最初に弟子を見つける(ルカの福音書10:1-2)

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ルカの福音書10:4-11 イエスは弟子たちを各村に送りました。彼は弟子たちに, 労働者を収穫に送るために神に祈るように言った。伝道者の書は最初に弟子を見つけています。(ルカの福音書10:1-2) ルカの福音書10:1 この事ののち、主、ほかに七 十 人をあげて、自ら往かんとする町々 處々へ、おのれに先だち二人づつを遣さんとして言ひ給ふ、 2 『收穫はおほく、勞働人は少し。この故に收穫の主に、勞働人をその收穫場に遣し給はんことを求めよ。 村を訪れ, 各家に福音を広げます。それから, 福音を受け取る家があります。そのような家に入り, 福音を説きます。(ルカの福音書10:4-9) ルカの福音書10:4 財布も袋も鞋も携ふな。また途にて誰にも挨拶すな。 5 孰の家に入るとも、先づ平安この家にあれと言へ。 6 もし平安の子そこに居らば、汝らの祝する平安はその上に留らん。もし然らずば、其の平安は汝らに歸らん。 7 その家にとどまりて、與ふる物を食ひ飮みせよ。勞働人のその値を得るは相應しきなり。家より家に移るな。 8 孰の町に入るとも、人々なんぢらを受けなば、汝らの前に供ふる物を食し、 9 其處にをる病のものを醫し、また「神の國は汝らに近づけり」と言へ。 福音を受け取らない人に会ったら, それらを残してください。(ルカの福音書10:10-11) ルカの福音書10:10 孰の町に入るとも、人々なんじらを受けずば、大路に出でて、 11 「我らの足につきたる汝らの町の塵をも、汝らに對して拂ひ棄つ、されど神の國の近づけるを知れ」と言へ。 最終的に, これは福音を真に受け取る弟子を見つける方法です。

151.多くの預言者と王が見たかったキリスト(ルカの福音書10:23-24)

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へブル人への手紙11:13, ペテロの手紙Ⅰ 1:10-11, ヨハネの手紙Ⅰ1:1-2 旧約聖書では, 多くの預言者と王がキリストを見たかったのです。(へブル人への手紙11:13, ペテロの手紙Ⅰ 1:10-11) へブル人への手紙11:13 彼 等はみな信仰を懷きて死にたり、未だ約束の物を受けざりしが、遙にこれを見て迎へ、地にては旅人また寓れる者なるを言ひあらはせり。 ペテロの手紙Ⅰ 1:10 汝らの受くべき恩惠を預言したる預言者たちは、この救につきて具に尋ね査べたり。 11 即ち彼らは己が中に在すキリストの靈の、キリストの受くべき苦難および其の後の榮光を預じめ證して、何時のころ如何なる時を示し給ひしかを査べたり。 そのキリストが来ました。イエスはキリストです。(ルカの福音書10:23-24, ヨハネの手紙Ⅰ1:1-2) ルカの福音書10:23 かくて弟子たちを顧み竊に言ひ給ふ『なんぢらの見る所を見る眼は幸福なり。 24 われ汝らに告ぐ、多くの預言者も、王も、汝らの見るところを見んと欲したれど見ず、汝らの聞く所を聞かんと欲したれど聞かざりき』 ヨハネの手紙Ⅰ1:1 太初より有りし所のもの、我等が聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手觸りし所のもの、即ち生命の言につきて、 2 ――この生命すでに顯れ、われら之を見て證をなし、その曾て父と偕に在して、今われらに顯れ給へる永遠の生命を汝らに告ぐ――

152.良い部分:キリストを知る(ルカの福音書10:38-42)

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ヨハネの福音書5:39-40, ヨハネの福音書6:40, ヨハネの福音書17:3 イエスはマーサの家を訪れました。当時, マーサはイエスに仕えるのに忙しく, マリアはイエスに耳を傾けました。イエスは, マリアが良い面を選んだと彼女に言った。(ルカの福音書10:38-42) ルカの福音書10:38 かくて彼ら進みゆく間に、イエス或 村に入り給へば、マルタと名づくる女おのが家に迎へ入る。 39 その姉妹にマリヤといふ者ありて、イエスの足下に坐し、御言を聽きをりしが、 40 マルタ饗應のこと多くして心いりみだれ、御許に進みよりて言ふ『主よ、わが姉妹われを一人のこして働かするを、何とも思ひ給はぬか、彼に命じて我を助けしめ給へ』 41 主、答へて言ひ給ふ『マルタよ、マルタよ、汝さまざまの事により、思ひ煩ひて心勞す。 42 されど無くてならぬものは多からず、唯一つのみ、マリヤは善きかたを選びたり。此は彼より奪ふべからざるものなり』 イエスがキリストであると知り, 信じることは永遠の命を受け取ることです。(ヨハネの福音書5:39-40, ヨハネの福音書6:40, ヨハネの福音書17:3) ヨハネの福音書5:39 汝らは聖書に永遠の生命ありと思ひて之を査ぶ、されどこの聖書は我につきて證するものなり。 40 然るに汝ら生命を得んために我に來るを欲せず。 ヨハネの福音書6:40 わが父の御意は、すべて子を見て信ずる者の永遠の生命を得る是なり。われ終の日にこれを甦へらすべし』 ヨハネの福音書17:3 永遠の生命は、唯一の眞の神にいます汝と、なんぢの遣し給ひしイエス・キリストとを知るにあり。

154.イエスをキリストとして信じる祝福された祝福された(ルカの福音書11:28)

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ヨハネの福音書5:39, ヨハネの福音書6:40, ヨハネの福音書17:3 イエスは, 神の言葉を聞いてそれを守る人々は祝福されていると言われました。(ルカの福音書11:28) ルカの福音書11:28 イエス言ひたまふ『更に幸福なるかな、神の言を聽きて之を守る人は』 神の言葉は聖書です。そして聖書はキリストの証言をします。(ヨハネの福音書5:39) ヨハネの福音書5:39 汝らは聖書に永遠の生命ありと思ひて之を査ぶ、されどこの聖書は我につきて證するものなり。 神の言葉を聞いて守ることは, 神から送られたイエス・キリストを信じることです。(ヨハネの福音書6:40, ヨハネの福音書17:3) ヨハネの福音書6:40 わが父の御意は、すべて子を見て信ずる者の永遠の生命を得る是なり。われ終の日にこれを甦へらすべし』 ヨハネの福音書17:3 永遠の生命は、唯一の眞の神にいます汝と、なんぢの遣し給ひしイエス・キリストとを知るにあり。

156.所有者の意志を知っていて準備ができていない場合(ルカの福音書12:47-48)

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ヨハネの福音書6:39-40, ヨハネの手紙Ⅰ5:1, ヨハネの福音書20:31, マタイの福音書28:19-20, マルコの福音書の福音書16:15, 使徒の働き1:8 スチュワードのたとえにおいて, イエスは, 主人の意志を知っているがそれをしない召使はそれをたくさんbeat打されると言いました。(ルカの福音書12:47-48) ルカの福音書12:47 主人の意を知りながら用意せず、又その意に從はぬ僕は、笞うたるること多からん。 48 されど知らずして打たるべき事をなす者は、笞うたるること少からん。多く與へらるる者は、多く求められん。多く人に托くれば、更に多くその人より請ひ求むべし。 それでは, 主人の意志, 神の意志は何ですか? それは, 神が送られた人を信じています。神の意志は, イエスをキリストとして信じることです。(ヨハネの福音書6:39-40, ヨハネの手紙Ⅰ5:1, ヨハネの福音書20:31) ヨハネの福音書6:39 我を遣し給ひし者の御意は、すべて我に賜ひし者を、我その一つをも失はずして、終の日に甦へらする是なり。 40 わが父の御意は、すべて子を見て信ずる者の永遠の生命を得る是なり。われ終の日にこれを甦へらすべし』 ヨハネの手紙Ⅰ5:1 凡そイエスをキリストと信ずる者は、神より生れたるなり。おほよそ之を生み給ひし神を愛する者は、神より生れたる者をも愛す。 ヨハネの福音書20:31 されど此 等の事を録ししは、汝 等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめ、信じて御名により生命を得しめんが爲なり。 そして, この福音を全世界に広めること。(マタイの福音書28:19-20, マルコの福音書の福音書16:15, 使徒の働き1:8) マタイの福音書28:19 されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖 靈との名によりてバプテスマを施し、 20 わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』 マルコの福音書の福音書16:15 かくて彼らに言ひたまふ『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。 使徒の働き1:8 然れど聖 靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極にまで我が證人とならん』

157.キリストが受けた洗礼:十字架での死(ルカの福音書12:50)

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詩篇69:1-2, ヨナ書2:6, マルコの福音書の福音書10:38, ローマ人への手紙6:4 旧約聖書では, それがキリストの死の前にどれほどイライラするかは予告されていました。(詩篇69:1-2, ヨナ書2:5-6) 詩篇69:1 神よねがはくは我をすくひたまへ 大水ながれきたりて我がたましひにまでおよべり 2 われ立止なきふかき泥の中にしづめり われ深水におちいるおほみづわが上をあふれすぐ ヨナ書2:5 水われを環りて 魂にも及ばんとし淵我をとりかこみ海草わが頭に纒へり 6 われ山の根基にまで下れり 地の關木いつも我うしろにありき しかるに我神ヱホバよ汝はわが命を深き穴より救ひあげたまへり イエスは, 彼が洗礼を受けること, つまり十字架での死まで, 彼がどれほどイライラしていたかについて話しました。(ルカの福音書12:50, マルコの福音書の福音書10:38) ルカの福音書12:50 されど我には受くべきバプテスマあり。その成し遂げらるるまでは、思ひ逼ること如何ばかりぞや。 マルコの福音書の福音書10:38 イエス言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、汝 等わが飮む酒杯を飮み、我が受くるバプテスマを受け得るか』 キリストが十字架で死んだとき, 私たちも死にました。今, 私たちはキリストに新しい生活を送っています。(ローマ人への手紙6:4) ローマ人への手紙6:4 我らはバプテスマによりて彼とともに葬られ、その死に合せられたり。これキリスト父の榮光によりて死人の中より甦へらせられ給ひしごとく、我らも新しき生命に歩まんためなり。

158.神の王国(世界の福音宣教)

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が満たされます。(ルカの福音書13:18-21) エゼキエル書17:22-23, コリント人への手紙Ⅰ1:21 旧約聖書では, 世界の福音宣教が預言されました。(エゼキエル書17:22-23) エゼキエル書17:22 主ヱホバかく言たまふ我高き香柏の梢の一を取てこれを樹ゑその芽の巓より若芽を摘みとりて之を高き勝れたる山に樹べし 23 イスラエルの高山に我これを植ん是は枝を生じ果をむすびて榮華なる香柏となり諸の類の鳥皆その下に棲ひその枝の蔭に住はん イエスは, 神の王国は小麦粉のパンンのようなものだと言われました。伝道者の書は, パンブンのようにすべてを膨らませます。言い換えれば, 世界の福音宣教は伝道者の書を通して行われます。(ルカの福音書13:18-21, コリント人への手紙Ⅰ1:21) ルカの福音書13:18 かくてイエス言ひたまふ『神の國は何に似たるか、我これを何に擬へん、 19 一粒の芥種のごとし。人これを取りて己の園に播きたれば、育ちて樹となり、空の鳥その枝に宿れり』 20 また言ひたまふ『神の國を何に擬へんか、 21 パン種のごとし。女これを取りて、三 斗の粉の中に入るれば、ことごとく脹れいだすなり』 コリント人への手紙Ⅰ1:21 世は己の智慧をもて神を知らず(これ神の智慧に適へるなり)この故に神は宣教の愚をもて、信ずる者を救ふを善しとし給へり。