マタイの福音書 (ja)

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53.マシューの福音書でマシューは何と言うでしょうか?イエスは, 旧約聖書に来ると予測されたキリストです。 マタイの福音書1:1, 16, 22-23, イザヤ書7:14, マタイの福音書2:3-5, ミカ書5:2, 2:13-15, ホセア書11:1, マタイの福音書2:22-23, イザヤ書11:1 マタイの福音書の福音書はユダヤ人のために書かれました。マタイの福音書は, マタイの福音書の福音書でユダヤ人に, イエスが旧約聖書で預言されたキリストであると証言しています。 マシューは, イエスがアブラハムとダビデの子孫として来るキリストとして来たことを明らかにすることによって, マタイの福音書の福音を始めます。(マタイの福音書1:1, マタイの福音書1:16)

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マタイの福音書1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系圖。 マタイの福音書1:16 ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり。此のマリヤよりキリストと稱ふるイエス生れ給へり。 また, 旧約聖書では, キリストが処女体から生まれることが預言され, イエスはこの預言に従って処女体から生まれました。(マタイの福音書1:18-23, イザヤ書7:14) マタイの福音書1:18 イエス・キリストの誕生は左のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁したるのみにて、未だ偕にならざりしに、聖 靈によりて孕り、その孕りたること顯れたり。 19 夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私に離縁せんと思ふ。 20 かくて、これらの事を思ひ囘らしをるとき、視よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納るる事を恐るな。その胎に宿る者は聖 靈によるなり。 21 かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救ひ給ふ故なり』 22 すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。曰く、 23 『視よ、處女みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱へられん』之を釋けば、神われらと偕に在すといふ意なり。 イザヤ書7:14 この故に主みづから一の豫兆をなんぢらに賜ふべし 視よをとめ孕みて子をうまん その名をインマヌエルと稱ふべし また, 旧約聖書では, キリストがベツレヘムで生まれることが預言され, イエスはこの預言に従ってベツレヘムで生まれました。(マタイの福音書2:3-5, ミカ書5:2) マタイの福音書2:3 ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆 然り。 4 王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ質す。 5 かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、 ミカ書5:2 ベテレヘム、エフラタ汝はユダの郡中にて小き者なり 然れどもイスラエルの君となる者汝の中より我ために出べし その出る事は古昔より永遠の日よりなり また, 旧約聖書では, 神がエジプトからキリストを呼び起こすことが預言され, イエスはこの預言に従ってエジプトにいた後にイスラエルに来るでしょう。(マタイの福音書2:13-15, ホセア書11:1) マタイの福音書2:13 その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで彼處に留れ。ヘロデ幼兒を索めて亡さんとするなり』 14 ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、 15 ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 ホセア書11:1 […]

54.マシューは, 旧約聖書で預言された主の道を準備するバプテスマのヨハネの福音書ヨハネの福音書が, キリストの道を準備し, キリストに洗礼を受けたことを証明しています。(マタイの福音書3:3)

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マタイの福音書3:3, イザヤ書40:3, マラキ書3:1, マタイの福音書3:11, ヨハネの福音書1:33-34, マタイの福音書3:16, イザヤ書11:2, マタイの福音書3:15, ヨハネの福音書1:29, マタイの福音書3:17, 詩篇2:7 旧約聖書は, キリストへの道を準備する人がいると予言しています。その人は洗礼者ヨハネの福音書です。(マタイの福音書3:3, イザヤ書40:3, マラキ書3:1) マタイの福音書3:3 これ預言者イザヤによりて、斯く云はれし人なり、曰く『荒野に呼はる者の聲す「主の道を備へ、その路すぢを直くせよ」』 イザヤ書40:3 よばはるものの聲きこゆ云く なんぢら野にてヱホバの途をそなへ沙漠にわれらの神の大路をなほくせよと マラキ書3:1 視よ我わが使者を遣さん かれ我面の前に道を備へん また汝らが求むるところの主すなはち汝らの悦樂ぶ契約の使者忽然その殿に來らん 視よ彼來らんと萬軍のヱホバ云たまふ バプテスマのヨハネの福音書は, キリストが聖霊とバプテスマをすることを預言しました。(マタイの福音書3:11) マタイの福音書3:11 我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖 靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。 また, バプテスマのヨハネの福音書は, 彼がバプテスマを受けたときに聖霊が来た人はキリストであると証言しました。旧約聖書では, 聖霊がキリストに出くわすと予測されていました。(ヨハネの福音書1:33-34, マタイの福音書3:16, イザヤ書11:2, イザヤ書42:1) ヨハネの福音書1:33 我もと彼を知らざりき。されど我を遣し水にてバプテスマを施させ給ふもの、我に告げて「なんぢ御靈くだりて或 人の上に止るを見ん、これぞ聖 靈にてバプテスマを施す者なる」といひ給へり。 34 われ之を見て、その神の子たるを證せしなり』 マタイの福音書3:16 イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上り給ひしとき、視よ、天ひらけ、神の御靈の、鴿のごとく降りて己が上にきたるを見 給ふ。 イザヤ書11:2 その上にヱホバの靈とどまらん これ智慧聰明の靈 謀略才能の靈 知識の靈 ヱホバをおそるるの靈なり イザヤ書42:1 わが扶くるわが僕わが心よろこぶわが撰人をみよ 我わが靈をかれにあたへたり […]

55.罪を克服する真のアダムであるキリスト(マタイの福音書4:3-4)

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マタイの福音書4:3-4, 申命記8:3, マタイの福音書4:5-7, 申命記6:16, マタイの福音書4:8-10, 申命記6:13, ローマ人への手紙人5:14, コリント人への手紙Ⅰ15:22, 45 悪魔は, 40日間断食したイエスを誘惑し, 石をパンのパンに変えました。しかし, イエスは, 人がパンだけではなく, 神のすべての言葉によって生きていることを明らかにすることで誘惑を克服します。(マタイの福音書4:1-4, 申命記8:3) マタイの福音書4:1 ここにイエス御靈によりて荒野に導かれ給ふ、惡魔に試みられんとするなり。 2 四十 日 四十 夜 斷食して、後に飢ゑたまふ。 3 試むる者きたりて言ふ『汝もし神の子ならば、命じて此 等の石をパンと爲らしめよ』 4 答へて言ひ給ふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」と録されたり』 申命記8:3 即ち汝を苦しめ汝を饑しめまた汝も知ず汝の先祖等も知ざるところのマナを汝らに食はせたまへり是人はパン而已にて生る者にあらず人はヱホバの口より出る言によりて生る者なりと汝に知しめんが爲なり 悪魔はまた, 神が彼を守るので, 神殿の頂上から飛び降りるようにイエスに告げました。しかし, イエスは悪魔に神を誘惑しないように告げます。(マタイの福音書4:5-7, 申命記6:16) マタイの福音書4:5 ここに惡魔イエスを聖なる都につれゆき、宮の頂上に立たせて言ふ、 6 『汝もし神の子ならば己が身を下に投げよ。それは「なんぢの爲に御使たちに命じ給はん。彼ら手にて汝を支へ、その足を石にうち當つること無からしめん」と録されたるなり』 7 イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』 申命記6:16 汝マツサにおいて試みしごとく汝の神ヱホバを試むるなかれ 最後に, 悪魔はイエスが彼を崇拝した場合, 彼に世界のすべてを彼に与えるように誘惑しました。しかし, イエスは悪魔に, 世界の神だけが礼拝に値すると語った。(マタイの福音書4:8-10, 申命記6:13) マタイの福音書4:8 惡魔またイエスを最 高き山につれゆき、世のもろもろの國と、その榮華とを示して言ふ、 9 『汝もし平伏して我を拜せば、此 […]

56.イエスの伝道者の書 マタイの福音書4:13-16, イザヤ書9:1-2, マタイの福音書4:17,23, マタイの福音書9:35, マルコの福音書1:39, ルカの福音書4:15,43-44, マタイの福音書4:18-19, マシュー10:6 イエスはガリラヤで福音を説きました。異邦人のガリラヤは, 主に混合ユダヤ人が住んでいる地域でした。ユダヤ人はガリラヤのユダヤ人を軽spしました。言い換えれば, イエスは福音を低い人々に説教しました。旧約聖書では, キリストがガリラヤに福音を説教することが予告されていました。(マタイの福音書4:13-16, イザヤ書9:1-2)

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マタイの福音書4:13 後ナザレを去りて、ゼブルンとナフタリとの境なる、海邊のカペナウムに到りて住み給ふ。 14 これは預言者イザヤによりて云はれたる言の成就せん爲なり。曰く 15 『ゼブルンの地、ナフタリの地、海の邊、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、 16 暗きに坐する民は、大なる光を見、死の地と死の蔭とに坐する者に、光のぼれり』 イザヤ書9:1 今くるしみを受れども後には闇なかるべし 昔しはゼブルンの地ナフタリの地をあなどられしめ給ひしかど 後には海にそひたる地ヨルダンの外の地 ことくに人のガリラヤに榮をうけしめ給へり 2 幽暗をあゆめる民は大なる光をみ 死蔭の地にすめる者のうへに光てらせり また, イエスは王国の福音を説きました。王国の福音の内容は, キリストが来たということです。(マタイの福音書4:17, マタイの福音書4:23) マタイの福音書4:17 この時よりイエス教を宣べはじめて言ひ給ふ『なんぢら悔改めよ、天國は近づきたり』 マタイの福音書4:23 イエスあまねくガリラヤを巡り、會堂にて教をなし、御國の福音を宣べつたへ、民の中のもろもろの病、もろもろの疾患をいやし給ふ。 また, イエスは主にシナゴーグで福音を説きました。シナゴーグは, ユダヤ主義を信じる人々のための集まりの場所です。彼はユダヤ人に旧約聖書を開いた。(マタイの福音書9:35, マルコの福音書1:39, ルカの福音書4:15, ルカの福音書4:44) マタイの福音書9:35 イエスあまねく町と村とを巡り、その會堂にて教へ、御國の福音を宣べつたへ、もろもろの病、もろもろの疾患をいやし給ふ。 マルコの福音書1:39 遂にゆきて、徧くガリラヤの會堂にて教を宣べ、かつ惡鬼を逐ひ出し給へり。 ルカの福音書4:15 かくて諸 會堂にて教をなし、凡ての人に崇められ給ふ。 ルカの福音書4:44 かくてユダヤの諸 會堂にて教を宣べたまふ。 イエスの伝道者の書の鍵は, 弟子を見つけることです。(マタイの福音書4:18-19) マタイの福音書4:18 かくて、ガリラヤの海邊をあゆみて、二人の兄弟ペテロといふシモンとその兄弟アンデレとが、海に網うちをるを見 給ふ、かれらは漁人なり。 19 これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』 イエスはまた, 弟子たちをイスラエルの羊に派遣しました。これは, 旧約聖書を知っているが正確に理解していない人々に王国の福音を説明することです。(マタイの福音書10:6) マタイの福音書10:6 むしろイスラエルの家の失せたる羊にゆけ。 結論として, 人々を救うために, イエスは最初に弟子たちを見つけ, […]

57.マウントの説教におけるキリストのメッセージ(マタイの福音書5:3-12)

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山の説教の鍵は, 本当にキリストを本当に待つ人が祝福されていることです。 マタイの福音書5:3-4, イザヤ書61:1, 精神が貧しい人々は, 王国の福音を受け取ります。(マタイの福音書5:3-4, イザヤ書61:1) マタイの福音書5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。 4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。 イザヤ書61:1 主ヱホバの靈われに臨めり こはヱホバわれに膏をそそぎて貧きものに福音をのべ傳ふることをゆだね 我をつかはして心の傷める者をいやし俘囚にゆるしをつげ 縛められたるものに解放をつげ 柔和になるということは, 神が最後まで義人の世話をすることを固く信じていることです。(マタイの福音書5:5) マタイの福音書5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。 祝福されているのは, 神の義であるキリストを待つ人々です。(マタイの福音書5:6) マタイの福音書5:6 幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。 キリストを知らない魂に慈悲を持っている彼は祝福されています。(マタイの福音書5:7, マルコの福音書6:34) マタイの福音書5:7 幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。 マルコの福音書6:34 イエス出でて大なる群衆を見、その牧ふ者なき羊の如くなるを甚く憫みて、多くの事を教へはじめ給ふ。 キリストによって罪を赦され, 主の忠実な人々として生きる聖人の心(マタイの福音書5:8) マタイの福音書5:8 幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。 イエスがキリストであると人々に言う人(マタイの福音書5:9, ナホム書1:15) マタイの福音書5:9 幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。 ナホム書1:15 嘉音信を傳ふる者の脚山の上に見ゆ 彼平安を宣ぶ ユダよ汝の節筵を行ひ汝の誓願を果せ 邪曲なる者重て汝の中を通らざるべし 彼は全く絶る キリストのために迫害されている人たちは祝福されています。(マタイの福音書5:10-12, ルカの福音書6:22-23) マタイの福音書5:10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。 11 我がために、人なんぢらを罵り、また責め、詐りて各樣の惡しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。 12 喜びよろこべ、天にて汝らの報は大なり。汝 等より前にありし預言者たちをも、斯く責めたりき。 ルカの福音書6:22 人なんぢらを憎み、人の子のために遠ざけ、謗り、汝らの名を惡しとして棄てなば、汝ら幸福なり。 […]

58.イエスはキリストであり, 光であり, 旧約聖書に来るように預言され, 私たちはキリストを通して光になります。(マタイの福音書5:14-15)

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イザヤ書42:6, イザヤ書49:6, ヨハネの福音書1:9, エペソ人への手紙5:8, マタイの福音書5:16 旧約聖書では, 神がイスラエルと異邦人の人々の光となるようにこの地球にキリストを送ることが預言されました。(イザヤ書42:6, イザヤ書49:6) イザヤ書42:6 云くわれヱホバ公義をもてなんぢを召たり われなんぢの手をとり汝をまもり なんぢを民の契約とし異邦人のひかりとなし イザヤ書49:6 その聖言にいはく なんぢわが僕となりてヤコブのもろもろの支派をおこし イスラエルのうちののこりて全うせしものを歸らしむることはいと輕し 我また汝をたてて異邦人の光となし 我がすくひを地のはてにまで到らしむ 光, キリストはこの地球に来ました。その光はイエスです。(ヨハネの福音書1:9) ヨハネの福音書1:9 もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり。 イエスをキリストとして信じることによって, 私たちもキリストの光になりました。また, 私たちはこの光を説く人々, キリストになりました。(マタイの福音書5:14-16, エペソ人への手紙5:8) マタイの福音書5:14 汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし。 15 また人は燈火をともして升の下におかず、燈臺の上におく。かくて燈火は家にある凡ての物を照すなり。 16 かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行爲を見て、天にいます汝らの父を崇めん爲なり。 エペソ人への手紙5:8 汝ら舊は闇なりしが、今は主に在りて光となれり、光の子供のごとく歩め。

59.律法の終わりであるキリスト(マタイの福音書5:17-18)

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マタイの福音書5:17 われ律法また預言者を毀つために來れりと思ふな。毀たんとて來らず、反つて成就せん爲なり。 18 誠に汝らに告ぐ、天 地の過ぎ往かぬうちに、律法の一點、一畫も廢ることなく、ことごとく全うせらるべし。 法律はペンタテックです。預言者は預言者の本です。法と預言者という言葉は通常, 旧約聖書全体を指します。言い換えれば, イエスは旧約聖書を廃止するようになりませんでした。イエスは旧約聖書を完成させた人です。旧約聖書のすべての内容は, キリストであるイエスを通して満たされました。(ローマ人への手紙10:4, ガラテヤ人への手紙3:23-24, エペソ人への手紙2:14-15, へブル人への手紙7:11-12, へブル人への手紙7:19, へブル人への手紙7:28) ローマ人への手紙10:4 キリストは凡て信ずる者の義とせられん爲に律法の終となり給へり。 ガラテヤ人への手紙3:23 信仰の出で來らぬ前は、われら律法の下に守られて、後に顯れんとする信仰の時まで閉ぢ籠められたり。 24 かく信仰によりて我らの義とせられん爲に、律法は我らをキリストに導く守役となれり。 エペソ人への手紙2:14 彼は我らの平和にして、己が肉により、樣々の誡命の規より成る律法を廢して、二つのものを一つとなし、怨なる隔の中籬を毀ち給へり。これは二つのものを己に於て一つの新しき人に造りて平和をなし、 エペソ人への手紙2:15+_ へブル人への手紙7:11 もしレビの系なる祭司によりて全うせらるる事ありしならば(民は之によりて律法を受けたり)何ぞなほ他にアロンの位に等しからぬメルキゼデクの位に等しき祭司の起る必要あらんや。 12 祭司の易る時には律法も亦 必ず易るべきなり。 へブル人への手紙7:19 (律法は何をも全うせざりしなり)更に優れたる希望を置かれたり、この希望によりて我らは神に近づくなり。 へブル人への手紙7:28 律法は弱みある人々を立てて大 祭司とすれども、律法の後なる誓の御言は、永遠に全うせられ給へる御子を大 祭司となせり。

60.敵を愛する目的 – 魂を救う(マタイの福音書5:44)

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レビ記19:34, イザヤ書49:6, ルカの福音書23:34, マタイの福音書22:10, 使徒の働き7:59-60, 1ピーター3:9-15 イエスは私たちに敵を愛し, 彼らのために祈るように私たちに告げられました。(マタイの福音書5:44) マタイの福音書5:44 されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。 旧約聖書は, 異邦人を憎まないように言っています。その理由は, 神がそれらの異邦人を救う計画を持っているからです。(レビ記19:34, イザヤ書49:6) レビ記19:34 汝等とともに居る他國の人をば汝らの中間に生れたる者のごとくし己のごとくに之を愛すべし汝等もエジブトの國に客たりし事あり我は汝らの神ヱホバなり イザヤ書49:6 その聖言にいはく なんぢわが僕となりてヤコブのもろもろの支派をおこし イスラエルのうちののこりて全うせしものを歸らしむることはいと輕し 我また汝をたてて異邦人の光となし 我がすくひを地のはてにまで到らしむ イエスが十字架につけられたとき, 彼は彼を殺した人々を許すように神に祈りました。(ルカの福音書23:34) ルカの福音書23:34 かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』彼らイエスの衣を分ちて鬮取にせり、 イエスは, たとえで天国での救いの宴会を説明し, 彼らに宴会に善と悪い者の両方を招待するように言われました。(マタイの福音書22:10) マタイの福音書22:10 僕ども途に出でて、善きも惡しきも遇ふほどの者をみな集めたれば、婚禮の席は客にて滿てり。 福音を説教している間に殺されたスティーブンでさえ, 彼を殺した人々が救われることを祈りました。(使徒の働き7:59-60) 使徒の働き7:59 かくて彼 等がステパノを石にて撃てるとき、ステパノ呼びて言ふ『主イエスよ、我が靈を受けたまへ』 60 また跪づきて大聲に『主よ、この罪を彼らの負はせ給ふな』と呼はる。斯く言ひて眠に就けり。 ピーターは, 悪のために悪を返済するのではなく, 彼らが救われるかもしれないことを祈るように言った。結局のところ, 私たちが敵を愛さなければならない理由は, 彼らが救われるようにするためです。(ペテロの手紙Ⅰ 3:9-15) ペテロの手紙Ⅰ 3:9 惡をもて惡に、謗をもて謗に報ゆることなく、反つて之を祝福せよ。汝らの召されたるは祝福を嗣がん爲なればなり。 10 『生命を愛し、善き日を送らんとする者は、舌を抑へて惡を避け、口唇を抑へて虚僞を語らず、 11 惡より遠ざかりて善をおこなひ、平和を求めて之を追ふべし。 12 それ主の目は義人の上にとどまり、その耳は彼らの祈にかたむく。されど主の御顏は惡をおこなふ者に向ふ』 13 汝 […]

61.主の祈りにおけるキリストのメッセージ(マタイの福音書6:9-13)

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マタイの福音書6:9(イザヤ書63:16), マタイの福音書6:10(使徒の働き1:3, 使徒の働き1:8, マタイの福音書28:19, マタイの福音書24:14), マタイの福音書6:11(箴言 知恵の泉30:8, ヨハネの福音書6:32,35), マタイの福音書6:12(マタイの福音書18:24,27,33), マタイの福音書6:13(ヨハネの福音書17:15, コリント人への手紙Ⅰ10:13, ダニエル書3:18, エステル 記4:16) マタイの福音書6:10使徒の働き1:3 イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十 日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り、 使徒の働き1:8 然れど聖 靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極にまで我が證人とならん』 マタイの福音書28:19 されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖 靈との名によりてバプテスマを施し、 マタイの福音書24:14 御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんため全世界に宣傅へられん、而してのち終は至るべし。 マタイの福音書6:11箴言 知恵の泉30:8 即ち虚假と謊言とを我より離れしめ 我をして貧からしめずまた富しめず 惟なくてならぬ糧をあたへ給へ ヨハネの福音書6:32,35マタイの福音書6:12マタイの福音書18:24,27,33_ マタイの福音書6:13ヨハネの福音書17:15 わが願ふは、彼らを世より取り給はんことならず、惡より免れさらせ給はんことなり。 コリント人への手紙Ⅰ10:13 汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。 ダニエル書3:18 假令しからざるも王よ知たまへ我らは汝の神々に事へずまた汝の立たる金像を拝せじ エステル 記4:16 なんぢ往きシユシヤンにをるユダヤ人をことごとく集めてわがために斷食せよ 三日の間夜晝とも食ふことも飮むこともするなかれ 我とわが侍女等もおなじく斷食せん しかして我法律にそむく事なれども王にいたらん 我もし死べくば死べし 神は私たちの父です。神の名前が神聖にされますように。(マタイの福音書6:9, イザヤ書63:16) マタイの福音書6:9 この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を。 イザヤ書63:16 汝はわれらの父なり アブラハムわれらを知ず イスラエルわれらを認めず されどヱホバよ汝はわれらの父なり 上古よりなんぢの名をわれらの贖主といへり 神の意志は, […]

62.神の王国と神の義はどういう意味ですか?(マタイの福音書6:33)

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マタイの福音書6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。 神の義はキリストであり, キリストは神の義を果たすために十字架で死んだ。神の王国は, イエスがキリストであることを証言する伝道者の書です。 コリント人への手紙Ⅰ1:30, ローマ人への手紙人3:21, ローマ人への手紙人1:17, ローマ人への手紙3:25-26, コリント人への手紙Ⅱ5:21, 使徒の働き1:3, マタイの福音書28:18-19, 使徒の働き1:8, イエスは, 十字架で死ぬことによって, 私たちに対する神の義を達成しました。(コリント1:30, ローマ人への手紙3:21, ローマ人への手紙人1:17, ローマ人への手紙3:25-26, コリント人への手紙Ⅱ5:21) コリント人への手紙Ⅰ1:30 汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在り、彼は神に立てられて我らの智慧と義と聖と救贖とになり給へり。 ローマ人への手紙3:21 然るに今や律法の外に神の義は顯れたり、これ律法と預言者とに由りて證せられ、 ローマ人への手紙人1:17_ ローマ人への手紙3:25 即ち神は忍耐をもて過來しかたの罪を見遁し給ひしが、己の義を顯さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥の供物となし給へり。 26 これ今おのれの義を顯して、自ら義たらん爲、またイエスを信ずる者を義とし給はん爲なり。 コリント人への手紙Ⅱ5:21 神は罪を知り給はざりし者を我らの代に罪となし給へり、これ我らが彼に在りて神の義となるを得んためなり。 イエスは, 神の王国を確立するために福音を説教するように命じられました。(使徒の働き1:3, マタイの福音書28:18-19, 使徒の働き1:8) 使徒の働き1:3 イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十 日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り、 マタイの福音書28:18 イエス進みきたり、彼らに語りて言ひたまふ『我は天にても地にても一切の權を與へられたり。 19 されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖 靈との名によりてバプテスマを施し、 使徒の働き1:8 然れど聖 靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極にまで我が證人とならん』